女子栄養大学を飛び出し、世界でプロフェッショナルとして活躍する卒業生をレポートするこのシリーズ。本日はオーストラリアにあるカーティン大学の医学部、微生物学室に勤務するマッケンナー 夕美さん(女子栄養大学保健栄養学科卒業)をご紹介します。カーティン大学は西オーストラリアにある本学の提携校であり、1990年代から本学では毎年オーストラリア栄養学・英語研修の留学先として訪れている大学になります。

 

カーティン大学の同僚たちと。中心が夕美さん。

 

Q:現在のお仕事(業務内容)について教えてください

主に医学生の微生物実験実習に関わる微生物の培養と管理、実験資材の準備、実験前のセットアップ、実験後の片付け、実験室(PC2 Laboratory)の管理全般をしています。実験室は、最大で96人収容できるので、とても大きな実験室です。

Q:オーストラリアついて、少し紹介してください

オーストラリアのパース(西オーストラリア州の州都)在住23年になります。私がパースに初めて来たのは1996年ですが、その頃はとてものんびりしたおおらかな国で、物価も安く住みやすい国でした。現在は、残念ながら物価が高くなりましたが、賃金も上がり、働き甲斐のある国だと思います。移民の多い国なので、大学でも様々な国出身の職員が働いており、文化、宗教、いろいろな考え方の違いに驚かされながら、日々刺激を受け、いい勉強になっています。

 

自宅近くにはビーチが広がる。美しい風景に癒される。

 

Q:なぜ現在の仕事をしようと思ったのですか?

大学卒業後、東京高輪台にある船員保険病院(現、東京高輪病院)一般検査室で3年半臨床検査技師として勤務して退職しました。その後、パースにあるカーティン大学付属の語学学校にて一年間語学留学をしました。帰国後、たきのがわ泌尿器科内科にて3年半、臨床検査技師、診察·手術補助、看護助手、放射線検査補助、受付補佐、として勤務し、在職中に先の留学中に知り合ったオーストラリア人の主人と結婚、妊娠を機に退職し、パースに移住しました。最初は子育て優先で、お寿司屋さん、パン屋さんでマネージャーとして働いていましたが、いつかは医療関係の仕事に戻りたかった為、17年前にDiploma of Laboratory Scienceを取得しておきました。2年半前に、カーティン大学医学部でLaboratory assistantとして採用され、一年前にTechnical Officerに昇格しました。学生さんの微生物学の実験実習の準備、片付けがメインの仕事なのですが、日本の病院と診療所での経験を活かせ、将来の医学を担うであろう学生さんのお手伝いができるなんて、素晴らしいお仕事だなと思い申し込みました。

 

現在も仕事を続けているパン屋の同僚たちと。

Q:女子栄養大学にいた時はどんな学生でしたか?

私は、当時通っていた小学校の養護教諭に大きな影響を受け、小学校一年生の時から「将来は養護教諭になる!」と決めており、栄大に入学しました。入学後、臨床検査技師という資格を知り、病気の原因を突き止めることに関わることができる仕事に興味を持ち、方向転換しました。学生時代は、勉強だけでなく、サークル活動、リサーチ会社での事務のアルバイトにも力を入れていましたが、国家試験前6ケ月間は死に物狂いで勉強しました。学生時代は、とても充実していて楽しかったです。

Q:海外で働くことと、日本で働くことの違いを教えてください

オーストラリアでは、仕事は仕事、プライベートはプライベートでキッチリ分けて働くのが皆さん上手で、職場はプライベートでの事情を理解してくれるので、とても働きやすい環境です。 2021年、パン屋さんでマネージャーとして勤務中に、日本の母が脳梗塞を起こし、脳血管性認知症になってしまい、帰国しなければならなくなってしまいました。その時はコロナ禍で、オーストラリアは特に厳しく国境を閉鎖していたので、出国までに一か月かかり、、帰国後は6ケ月間パースに戻れなかったのですが、オーナーは待っていてくれました。大学に転職してからも、毎年少なくとも2回(2週間と4週間)は母の面倒を看に帰国させてもらい、本当に有難く思っています。日本で病院に勤務していた時は、まとまったお休みを取ることがとても難しかったので、大きな違いを感じます。日本でしたら離職を迫られて当然なのかなと思います。

Q:栄大の後輩へのメッセージ

私は、尊敬する日本人初、女性初の国連難民高等弁務官の緒方貞子さんの「今しかできないことをまず一生懸命しなさい。」という言葉と、「一期一会」をモットーに生きています。人それぞれ今しか出来ない事は違うと思います。今を大切にし、出会った人たちに感謝し、可能性に満ちた明るい未来に羽ばたいて行ってください。